首里手(しゅりて)は捧術と拳法の各人、松村宗棍(まつむらそうこん)、糸洲安恒(いとすあんこう)などを生み出した系統であり、中国北派拳術の影響を濃くうけていると言われています。琉球王国に仕えた首里士族は文武両道に優れたものが多く、武術においても優れた武人を数多く輩出しています。中でも松村宗棍は、武術指南役、国王の相談役でもあり、武術、剣術の奥義を極め傑出した武人でした。
松村門下には、糸洲安恒他、多数の武人が空手の伝統を今日まで伝えています。
松村宗棍をはじめ、首里手からは後に船越義珍(松涛館の創始者)、さらにその弟子に大塚博紀(和道流の創設者)、摩文仁賢和(糸東流の創設者:糸洲安恒と東恩納寛量の両師に師事したため、糸東流は両師の頭文字をとって命名された)ため、後の四大流派のうちの三流派が、この首里手から発生したことになります。